「LLMとマルチエージェントが拓く未来の民主主義」について考える企画セッションです。
急激なLLMの発展は、民主主義や公的な意思決定にどのような影響を与えうるのでしょうか?
市民参加、透明性、持続的対話と合意形成といった新たな民主主義のあり方を、技術と理念の融合を通じて再構築する可能性と課題について、具体例を交えながら議論します。
AIエージェントと対話を行うという発表があったが、悪意ある市民・権力者に利用されることをどれくらい防げるのが気になった。
例えば、APIを使ってAIに大量投稿することで大多数の意見に見せかける、など
人間の性格の多様性を理解してないと、AIによって人間はみんな考えなくなる、という意見になりがち。
抽象的かつ論理的なことを考える人は、ここのパネルの人たちのように人にやめろと言われても考えるし、しかしそれは全体の最大で25%か12%くらいでしかない。そしてAIがどうであろうと、抽象論よりも身体感覚を重視する人、論理性よりも自分の芯から立ち昇る実存性の方を重視する人たちは、減りもしないし増えもしない。人間の多様性を調査して研究することなしに、AIによる政治の理論は本当の意味でインクルーシブにならないのではないか、と日頃から考えたりしてます。
AIによるファシリテーションには可能性を感じる一方で、行政側が議論を誘導するようなAIを設計する危険性や、人々がAIに陰謀論的な反感を抱く可能性、ないし極端に信仰する可能性も考えうると思うのですが、この辺の問題はどのように解決すべきと皆さんお考えでしょうか
滅びのスイッチを押すのは人間で,その瞬間にもAIが「やめといたら?」と言い続けられる仕組みが必要なんではないかと思います.
おかしいことに対して、おかしいと言えない、無力感がどの世代にもあると思います。
この部分に、AIがあることで、「おかしい」と言えたり、そう言うことで、状況が改善される体験があると、より、納得感が高まると思います。
いまは、あまりないように感じます。
理想の共有が有効ではと考えています。
理想は社会のストーリーとも言えるはずです。
90年代以降、日本には、経済成長の次の理想がなく、そこに、極端な反感や信仰が生じてしまいやすくなるのではと考えています。
行政コミュニケーションにAIを活用するのであれば,全力で行政側のアイディアをつぶしにかかるAIとして使ってもらうことがいいんじゃないかと思います.それで合意できないのであれば元から無理筋だし,合意できたときは当初よりいいアイディアになってるんじゃないかと.
政治は納得のデザインで、納得は、細かなところまでの理解がなくとも信用や信頼により形成されるとすると、誰が信頼の中心になるのかが問題で、最近はSNSなどのネット言論が、そしてこれからはChatGPTがユーザーに寄り添ってパーソナルなことをなんでも答えてくれることでカルト的な信頼を得てきている。今後ますます自律的になる生成AIが、それらの信頼を基盤にして、納得のデザイン、つまり政治を行い始めるのは自然な流れになってきているように感じる。
社会が共有できる理想があると安心してつながるという話は分かりますが、では何を理想にするか、というのは難しいですよね。大きな物語が失われた今、社会全体で理想を共有するのが原理的に不可能である可能性もある気がします
社会をつなげて統合するAIが理想ですが、反対に社会を分断するAIの方が簡単に作れる気がしますね…SNSで既に分断したそれぞれの陣営が、互いに自分の陣営を増やそうとAIを使ったらと思うと絶望感があります
AIがずっと信頼性を担保してくれるのか。AIが「ウィルス」的な情報に感染してメンタルの病期になると、社会が混乱するほどに人々の生活に浸透するかもしれない。AIの健康診断をいかに透明性を持ってできるかが課題になるかも。
そこ面白いし、日本というポジション(地政学的な場所的にも)の可能性があると思います。
"大きな"がどのくらいのものかによりますが、私はできると考えているんですよね。
明確な正解がない議論において、AIが今まで人間が思いつかなかったより良い案を出してくれた時に、人間がその案を適切に評価できるか気になります。
AIを使う個人の納得感の最大化は,はたして責任をとることに繋がるのでしょうか.
個人が責任を取っている=意思決定をしている,ということを,どう定義するかが重要ではないでしょうか.
納得感なので、納得ではないですし、責任ともことなりますよね。